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東京高等裁判所 昭和60年(う)723号 判決 1986年1月28日

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐藤むつみ、林浩二、小林政秀、森田太三が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官鮫島清志が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は要するに、被告人車の速度は誤つて測定された可能性があり、その実際の超過違反速度は時速二五キロメートル未満(反則行為)であつたと認むべきであるのに、被告人が制限速度四〇キロメートル毎時を二五キロメートル超える六五キロメートル毎時の速度で、その車両を運転した旨認定した原判決は、事実を誤認したものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決を破棄して、反則通告手続を経ていない本件公訴を棄却すべきである、というのである。

ところで、本件は時速二五キロメートル超過の成否如何により、過去一年以内に運転免許の効力停止等の行政処分を受けていない被告人にとつては、その速度違反が非反則行為とも反則行為ともなり得る限界域の事案であつて、時速二五キロメートル超過の非反則行為であるとするためには、速度測定の結果につき、いささかもいわゆるプラス誤差の存した可能性のないことが合理的疑いの存しない程度に立証されることが必要である。そこで、所論にかんがみ、原審で取り調べた証拠に、当審における事実取調べの結果も参酌して検討する。

(一)  所論はまず、本件速度測定装置(光電式JMA―一四一D型)の設置の正確性を争い、特にスタート側の送受光器とストップ側の送受光器との間の距離が正規の七メートルよりも短く、従つて速度測定区間の短縮により、被告人車の速度が真の速度よりも早目に測定された疑いがあると主張する。

よつて検討するに、実際に本件速度測定装置を設置した中井博昭及び前峠法道の原審各証言によれば、原判示のとおり、同装置は、所論の距離の点も含めて、その取扱説明書に定められたところに基づき設置されたものであり、同装置の正確性は一応これを肯定して差し支えないものと認められるけれども、右各証言によれば、右の距離は各送受光器のフードの上部にある黒点間に巻尺をあてて計測されたというものであるから、寸分の狂いもない機械的正確さを保持していたものとは断じがたく、後記のように本件装置設置後取締り開始前にいわゆる走行テストを実施し、その速度表示が許容誤差の範囲内にあるか否かの確認がなされているとは認められないから、本件事情のもとでは、同装置の設置に全く問題がなかつたものと断ずることはできない。

(二)  次いで所論は、本件速度測定装置の設置が正確であつたとしても、車体の上下動などの影響により、被告人車の赤外線遮断部位が、スタート側検出器における遮断部位と、ストップ側検出器における遮断部位とでは異なることにより、速度測定区間が正規の七メートルよりも短縮されて、被告人車の速度が真の速度よりも早目に測定された疑いもある、と主張する。

よつて検討するに、関係証拠によれば、本件違反現場の道路は凹凸、段差、うねりなども特にない一見平坦な道路で、車両が通常の走行をする限り、その車体に激しい上下動を生ずるような路面の状況ではなかつたこと、本件速度測定装置は、その中に基準時間単位の切り上げや、キロメートル未満の端数の切り捨て等の機能が仕込まれており、これにより被測定車両の速度が真の速度よりも遅目に表示される、いわゆるマイナス誤差を生ずる仕組みになつていること、そして同装置の当時の測定精度については問題がなく、また本件違反検挙の当日も、その機能が正常に作動していたこと等は、原判示のとおりと認められる。

しかし、原審鑑定人鈴鹿武作成の鑑定書(補正書を含む)及び同人の原審証言や、原判示の別件(志賀文雄に対する道交法違反被告事件)における鑑定人竹木政博作成の鑑定書の抄本及び同人の原当審証言によれば、平坦と目視される道路を、車両が通常の走行方法で進行した場合においても、車輪の偏芯、タイヤの状況、エンジンの振動等の要因により、その車体に何がしかの上下動を生ずるのは避けられないところであり、右上下動の状況如何では、路面の微妙な状況や車体前部の複雑な形状とも相俟ち、所論のように測定区間の縮少を招いて、被測定車両の速度が真の速度よりも早目に測定される、いわゆるプラス誤差が生じ得る一般的可能性があることを否定することはできないものと認められる。

そして、本件速度測定装置に前記のような機能が仕込まれているといつても、脇坂成人(本件装置を開発製作した日本無線株式会社の社員)の原審証言によれば、仮にその測定区間が正規の距離より三センチメートル短かければ、被測定車両の真の速度が六四・九キロメートル毎時であつたとしても、その装置には六五キロメートル毎時の速度が表示される場合のあることが明らかにされており、同証言に示された算式に従えば、本件測定装置において、一六・一ミリメートルよりも大きい測定区間の短縮があつた場合、例えば一六・二ミリメートルの短縮があつた場合には、被測定車両の真の速度が六四・九九九五キロメートル毎時であつたとしても、その装置に表示される速度が六五キロメートル毎時となり得ることは、所論の指摘するとおりと認められる。

してみれば、本件速度測定装置に六五キロメートル毎時と表示された速度に、プラスの誤差が生じていないことが担保されているためには、車体の上下動などに由来する測定区間の縮少が、右の一六・一ミリメートルの範囲内に収まつていることが前提となるが、後記のように走行テストによる確認が行われておらず、本件全立証によつても、このことを肯認するに足る確たる証拠はない。

(三)  原判決は、車体の上下動の最大幅を三センチメートルと想定したうえ、本件において、スタート地点で仮に三センチメートルの上下動があつたとしても、スタート検出器の発射する赤外線は、常に被告人車前面の最突出部であるバンパーで遮断され、他方、ストップ地点では上下動の有無にかかわらず、ストップ検出器の発射する赤外線は、同バンパーあるいはその下方のバンパーよりも五・六センチメートルくぼんだところに位置するスカート部で遮断されるから、本件の場合は測定区間の距離が七メートルを超えることはあつても、これを下まわることはあり得ない旨判示しているところ、この判示は警視庁交通部交通捜査課主事木下勝直作成の実況見分調書及び写真撮影状況報告書等に依拠したものと認められる。しかし、関係証拠によれば、本件違反後に実施された管路埋設工事により、その現場の路面は相当程度に改変されていることが窺われ、右実況見分当時の路面の状況が、本件違反当時のそれと同一であつたものとは認め難いうえ、その実況見分の手法が、静止状態にある車両につき、本来幅のある赤外線のビームを一本のたこ糸に見立てることにより、その赤外線を車体が遮断する部位を求めようとするなど、あまり科学的なものでないこと等に徴すると、所論も指摘するとおり、右の実況見分の結果等により、原判示のような断定を下し得るか否かについては、多大の疑問がある。更に原判決は、前記別件における検証の際、本件と同種の速度測定装置を使用しての一九回にわたる車両走行実験においても、テープスイッチ式速度測定装置により測定された速度との対比において、全てマイナス誤差が出ていることを根拠に、本件速度測定にプラスの誤差が生ずることはあり得ないとの趣旨を判示している。しかし、右検証の場に鑑定人の立場で居合わせた前記竹木政博は、当審証言において、その走行実験で右のような結果が出たのは、右の実験をした道路の路面が、そもそもそのような結果の出やすい状況下にあつたことによるものと考えられる旨を供述しており、現にそのような路面の状況に影響されてか、所論も指摘しているとおり、右テープスイッチによる速度測定の結果が正しいとすれば、本件同種の速度測定装置に、本来ならば六八キロメートル毎時と表示されてしかるべき速度が、実際には六七キロメートル毎時と表示されている実験例も含まれていること等に徴すると、当該走行実験の結果をもつて、原判示のように結論することについても、これまた少なからぬ疑問がある。

(四)  上来説示したところから明らかなように、本件にあつては、車体の上下動などにより、本件速度測定装置の正規の速度測定区間の短縮を招いて、同装置の速度の表示にプラスの誤差を生じ、被告人車の速度が真の速度よりも早目に測定されたとの誤測定の可能性を否定し去ることはできない。

しかして、右のような誤測定の疑いを避けるためには、この種事犯の取締りに際し、通例として行われているように、当該速度測定装置の精度や機能自体が正常であることの確認に加え、その取締りにあたつて、現場で実際に車両を試走させ、その現場に即しても、同装置の表示にプラスの誤差が生じないことを確認するという、いわゆる走行テストを実施することが不可欠であり、また、これを実施することにより容易に正確性を確認することができると認められるのに、本件にあつてはかような走行テストが実施された形跡はない。

以上によつて結局、本件にあつては、「疑わしきは被告人の利益に」との原則に従い、被告人車の超過違反速度は、時速二五キロメートル未満であつたと認定せざるを得ない。

そうすると、原判決が公訴事実記載のとおり、右の違反速度が二五キロメートル毎時であつたと認定したのは、事実を誤認した結果、反則通告手続を経ていない公訴を不法に受理したことに帰し、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

(五)  よつて、刑訴法三九七条一項、三七八条二号により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとする。

本件公訴事実は「被告人は昭和五六年五月二三日午後三時二七分ころ、道路標識によりその最高速度が四〇キロメートル毎時と指定されている東京都千代田区三番町六番地付近道路において、その最高速度を二五キロメートル超える六五キロメートル毎時の速度で、普通乗用自動車を運転して進行したものである。」というものであるが、前叙の理由により、本件速度違反は反則行為と認むべきであるのに、道交法所定の反則通告手続を経ていない点において、本件公訴の提起は、その手続が同法一三〇条の規定に違反し無効であるといわねばならないから、刑訴法三三八条四号により本件公訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官田村承三 裁判官本郷 元 裁判長裁判官佐々木史朗は転補につき署名押印をすることができない。裁判官田村承三)

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